糸ヲトル

 

私の友人、公花は、数年前からセビリアに住む、日本人アーティストです。2011年、西サハラにおける芸術と人権の祭典『ARTifariti』へ参加を共にしたことは、私達の生き方や芸術に対する表現方法へ、深く影響を与える経験となりました。以降、そのような経験を重ねていくうちに 、あまりに多くの社会的な紛争での不運な状況が存在することに気付いたのです。私たちは、どのような 表現方法を用いて、 個人で非暴力的な活動ができるのか 、その有効的な足掛かりを、公花と長年話し続けています。昨年は、彼女にとって 非常に困難な年でありましたが、勇敢にそれを乗り越えました。今は、回復して、グラサレマ*1のニールソンギャラリーにて、彼女の新しい作品を展示する地点にいます。公花は、命や運命と、彼女の作品を結びつける糸をしっかりと、とります。 紙と布のテキスタイルコラージュが光り輝くこの作品達は、苦しみを、美しさに変えた彼女が、心へ陽気に語り、感動を歌いながら創り出した物たちです。

 

私たちは、公花の日本での暮らしについて、彼女の疑問への答えを追求する旅について話し明かしました。「あなたは、どこから来たのかは変える事はできませんが、どこへ行くのかは選ぶ事ができます。」運命とは常に自分自身に起こる新しく創造的な、知らない旅路のように、アートもまた確かな道筋がない道のりです。今回の個展の題名『糸ヲトル』と、公花が私に説明した、 偏に糸がつくことで、色々な表現を豊かに読み取ることができることについてお話ししましょう。例えば『結、絆、繋、続、終、織、縫、紡』など、様々です。人生を引用してみます。宿命とは文字通り『宿る命』です。私たち自身で変えることのできない、肯定と否定の観点で宿命について語ります。何かが起こるということは、常にそれが現れた形のまま出会います。マクトゥーバ*2と、西サハラ難民の女性たちと共に、友情、姉妹、結束の絆の人間的繋がりにより、彼女がどのような活動を続けているかについてお話します。西サハラの女性たちは、私達に話します。「自分達自身の取り組みについて話すことは、他国の人達に自分たちの存在を気づかせることです。話すことが、西サハラの状況について世の中へ発信することができる唯一の術なのです。」

   

公花は『色鮮やかなる壁の華麗なる反抗』というテキスタイル作品を展示しています。この作品は、2014年に、『恥の壁』の前で公花が主催した一つの活動から始まりました。それは、メルファと呼ばれるサハラウィ女性の民族衣装の切れ端を、彼女たちから好意で譲り受け、公花に手渡されたものから作られた、華々しいコラージュ作品です。この『恥の壁』は、長さ2800km、世界でもっとも広範囲に地雷が埋め込まれ、犬走り*3により、領土とサハラウィ*4家族たちは分離されました。公花の活動はハイマ*5からハイマへ駆け巡り、全てのウィラーヤ*6から女性達を召集しました。この活動の日、100人以上の女性達とアーティストが、共に地雷が引き詰められた壁のおよそ500m前に出向いたのです。サハラウィ女性達は、大声をあげながら、怒り、民族の叫びの支配から解放され、踊りながら手をとりました。この共演は、つらい日々に抵抗する人々の、知恵と勇気の網で編まれた、女性達の揺るぎない精神の喝采です。正当な世界的認識、意識への価値に気付くことや、説明を求めることができる知識は、私たち全ての社会に日ごとに建つ、『無知の壁達』を解体することに繋がります。

 

メルファの織り目とハイマの裏地が組み合わさった曲りくねりをじっと見つめます。形は地(じ)と隠れん坊をしています。揺れ動く絞り染とバティック染の紋様の上で踊るアフリカのプリント柄の切れ端たち。この作品は、流れに身を許し、風にのって陽気に揺れるように、様々な文化が並ぶ色合いの調和を広げています。詩的な題名たちは、舞、砂丘、そよ風、海、お茶のイメージを連想させます。私たちの会話は、理念の地理学を歩き回り続けています。公花は運命のように糸について語ります。文字通り、命を運ぶ』、それは宿命とは違い、人生を自分の意志で行動することにより動かすことが可能であることを意味します。運命は宿命とは違う顔があるのです。私たちの行いの中で不運の経験は自分自身によって好転させる事ができます。不運に正面から抵抗するのです。公花にとって、もう一つの重要な観点が衣の糸です。人が生きていくために必要なものの中に衣類の衣があり、様々な糸から成り立っています。衣は『保護、防護のため身にまとう必要性』として 必需品です。メルファもハッサニア語*7で『覆う(守る)』を意味します。その言葉は、緑の行進*8の軍事侵攻により、砂漠へ逃げた時、亡命生活での初めての住まいが、ハイマの代わりに、木の枝にメルファを掛け、日陰で家族を守ったサハラ女性たちの姿を思い浮かべます。

 

 

会話は、バラカ(Baraka)の概念についての話に導きます。バラカは、祝福、カリスマ性、良い運命など、幸運を意味するアラビア語の伝統的な概念です。一人のサハラウィが、公花に言いました。「大西洋からの風は、故郷西サハラを通り、ティンドゥフ難民キャンプに吹いてくる。その西の風が吹くと故郷を感じることができるのだよ。」と。それを聞き、公花は、西の風からバラカを呼び入れるため、日本では風鈴と呼ばれる涼の音を楽しみ、悪いエネルギーから家を守る縁起物のような物を用いて、サハラウィと共に、空のペットボトルで風鈴を制作しました。そして、この素晴らしい人々を苦しめる悪を払い除け、西の風と共に幸運がやって来ることを短冊に書き、願いと共に、ハイマに吊り下げました。公花は 糸の漢字を含む「絆」について語りました。それは結びつきを意味し、私は、まるで、贈り物やドレスを飾りつけるために使う糸の役割のように、結び、美しく仕上げ、完成させる行いのように感じました。

 

公花の作品は平和を伝えます。なぜなら平和から作り出しているからです。生きる妨げにならないように、紛争あるいは、世の中の醜さから、痛みで目を閉じてしまうような作品ではないのです。これは、芸術、政治、個人的行いとして、自分から進んで働きかける非暴力の戦略との約束です。 公花は言いました。「今まで、私は一度も、『苦しむ人々を手伝っている』という自身を想像したいと思ったことがありません。それは『他人』ではなく、より深い意味での「私」だからです」。公花がサハラウィ達と共に取り組んできて7年、事実は、『日本人』、『スペイン人』、『西サハラ人』、『モロッコ人』または『アーティスト』ではないようです。人類が本当は誰であるかを意識するよりも、何を実行するかを高める時がきました。自然は知っています。動物、植物、昆虫は、暴力と二元性を越え、本能的な知性を持っています。対立する相違点を越えて、よりよく共存するために全てを包みこむ、非暴力的な知恵を持っています。

 

 

日本人は自然や、自然本来が持つ力を精神的に深く敬い意識してきました。公花の作品は、まるで生きているように、また、芸術的、人間的、自然的な言葉の中で関わりを持ちながら活動しています。「私は常に、人、魂、空気を通じて、私が活動する場所と繋がりたいのです。私は私を取り巻く場所での日々の感動、魂、優しさを、作品を通して表現したいです」。公花はそこに暮らす人々、そこに暮らすことで、風景に刻み込まれている歴史の物語を探し求めます。私たちの大地、私たちの避難場所、私たち場所は、私たちが生きる下地を形成する文化や歴史、自然の交差する風景なのです。今、公花は、カディス*9に連なる山々の神秘と清浄な空気に着想を得ます。

 

 

公花は仲間達の導きによりグラサレマにたどり着きました。この村では、伝統的な織物が、イスラム支配の時代からあり、それがとても重要なものであったことを知りました。715年からその場所はライサ・ラミー・スリが、『バヌ・アル・サリムの街』としました。17世紀から19世紀にかけて、グラサレマの毛布は人々に知れ渡り、好景気となったことで、毛織物で生計をたてる産業が存在していました。グラサレマはスペインの中で雨の多い場所であったため、羊毛を洗うための水を使用する事ができました。それは、より上質な素材を産みだし、質の良い羊毛を使うことができたのです。また、たくさんの雨により、羊たちに必要な食料の牧草地が、夏の間にさら広がることは、上質な羊毛へ反映しました。

 

公花のより美しい布作品の一つは雨の後、山と岩が寄り添い合うグラサレマの景観を連想させる緑と青に染められた作品です。不思議な魅力と神秘に満ち、ひっそりとしたこの作品は、露から霧に変わるように抽象的から具象的に変わります。知らない人が知り合いになるような、毎日が夢のような特別を呼び起こすのです。真相は、視点を変えて 見て見ると、絵に含まれた外見/内心は全て関連があります。TAO(道)のシンボルマークである対極図(陰陽図)のように、布が小さな糸に変わるまで、広大な景色を小さな姿にひっくり返します。おそらく、目の前にある真相の向きを変えて、見ることはサハラウィのマクトゥーバの概念が凝縮されている深い意味を知ることができるのです(幸運、神慮、運命、マクトゥーバの文字通り、『すでに書かれていること』。) 私たちの個人的な宿命は、共通の目的の宿命に確固として互いを結びつけています。全ての人々の人生は広大な織物で、小さな糸は、より大きな何かの一部と、お互いに影響し合い、逃れられない網で結びついています。どんな事柄も、あらゆる多くのことには間接的に 影響が及び、たった一つのことには直接的に影響が及びます。サハラウィのように、私達は前に進むため、存在していることを与え、私達の進む道を強く信頼するのです。そのように、『糸ヲトル』は、人生は身をまかせ、信頼して、自由に『トル』ことを意味するのです。

 

フェデリコ・グスマン

 

 

   

      *1、グラサレマ:スペイン、アンダルシア地方の白い街。

  *2マクトゥーバ:『サハラウィ』西サハラ人はmaktubaという。

                  アラビア語で「それは書かれている」という意味。

  *3犬走り:壁と溝との間に設けられた狭い地面

  *4、サハラウィ:西サハラの人々

  *5、ハイマ:遊牧民の居住のテント 

  *6ウィラーヤ:アラブ世界で用いられる行政区画の単位

  *7ハッサニア語:アラビア語の西サハラの方言 

  *8緑の行進:197511月モロッコ政府により調整された戦       

              略的大規模デモンストレーション。

        9、カディス:スペイン、アンダルシア地方の街